ユマデミー賞アニメ部門『江戸前エルフ』

 

結局僕は最後まで『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』というアニメを好きになれなかった
主人公コハルの秋葉原に対する執着心。アニメやゲームが好きなのか、それとも町が好きなのか、最後まで分からなかった。

僕は、オタクは時代とともに移り変わるものだと思う。秋葉原から池袋、そして全国各地に移った。紙から電子書籍に移り、ファミコンからプレイステーションスマートフォンやPCにまで移っていった。
肝心なのはそこで供給されるモノ。時代が変わり、場所が変わってもモノを愛せるからオタクなのだ。これこそが恒久普遍の愛だ。もしも場所を愛してしまったら、それはただの不変だ。

www.anime-recorder.com

江戸前エルフ』に登場するエルフ・エルダは、そんなオタクの理想像。安齋剛文監督はインタビューの中で、エルダの人物像を「諦めがベースにある」と語っている。僕はこの一言が本当に大好きだ。まさにそのとおりだと思う。

僕だって、場所に対する愛着はめちゃくちゃある。だけど、それらひとつひとつに諦めてここまできたのだ。
400年以上生きているエルダは、一体何度諦めてきたのだろう。エルダが大昔の思い出話をするたびに、儚さも感じていた。

だけど、そこに寂しさも悲しさも感じさせないのが『江戸前エルフ』のすごいところだ。だってエルダは今あるものを、今ある形で楽しんでいるのだから。見ている僕らが悲しむ必要がどこにある。

そしてなにかを諦めてきたのは、きっと小糸たちも同じ。第9話でエルダが持っていたビデオテープにお母さんが写っていたけど、少し考えた後にテープをエルダに返す。16歳という年齢で、きっとたくさんのことを諦めて、その度にいろんなものを手に入れてきたんだろうな。そう思わせる数秒間だった。

バンプオブチキンはかつて「手に入れるために捨てるんだ」と歌った。このアニメもまた、似たテーマを持っているのかもしれない。捨てたものの物語ではない、その代わりに手に入れたなにかの物語なのだ。

もうひとつ、『江戸前エルフ』が素晴らしいと感じたのは最終話のこと。弓耳祭りという作中における大きなイベントがあったものの、これは最終話のAパートであっさりと終わってしまう。そしてBパートからラストまで、普段と変わらないような日常が繰り広げられる。
これを見て僕は「この世界はアニメが終わっても続いていくんだな」と感じた。僕が考える名作の条件は、最終話を見たあと「この世界にまだまだいたい」と思わせてくれること。そんな想像ができる余地を残してくれたことが、なによりも嬉しかった。

 

 

ユマデミー賞アニメ部門『江戸前エルフ』

 

結局僕は最後まで『16bitセンセーション ANOTHER LAYER』というアニメを好きになれなかった
主人公コハルの秋葉原に対する執着心。アニメやゲームが好きなのか、それとも町が好きなのか、最後まで分からなかった。

僕は、オタクは時代とともに移り変わるものだと思う。秋葉原から池袋、そして全国各地に移った。紙から電子書籍に移り、ファミコンからプレイステーションスマートフォンやPCにまで移っていった。
肝心なのはそこで供給されるモノ。時代が変わり、場所が変わってもモノを愛せるからオタクなのだ。これこそが恒久普遍の愛だ。もしも場所を愛してしまったら、それはただの不変だ。

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江戸前エルフ』に登場するエルフ・エルダは、そんなオタクの理想像。安齋剛文監督はインタビューの中で、エルダの人物像を「諦めがベースにある」と語っている。僕はこの一言が本当に大好きだ。まさにそのとおりだと思う。

僕だって、場所に対する愛着はめちゃくちゃある。だけど、それらひとつひとつに諦めてここまできたのだ。
400年以上生きているエルダは、一体何度諦めてきたのだろう。エルダが大昔の思い出話をするたびに、儚さも感じていた。

だけど、そこに寂しさも悲しさも感じさせないのが『江戸前エルフ』のすごいところだ。だってエルダは今あるものを、今ある形で楽しんでいるのだから。見ている僕らが悲しむ必要がどこにある。

そしてなにかを諦めてきたのは、きっと小糸たちも同じ。第9話でエルダが持っていたビデオテープにお母さんが写っていたけど、少し考えた後にテープをエルダに返す。16歳という年齢で、きっとたくさんのことを諦めて、その度にいろんなものを手に入れてきたんだろうな。そう思わせる数秒間だった。

バンプオブチキンはかつて「手に入れるために捨てるんだ」と歌った。このアニメもまた、似たテーマを持っているのかもしれない。捨てたものの物語ではない、その代わりに手に入れたなにかの物語なのだ。

もうひとつ、『江戸前エルフ』が素晴らしいと感じたのは最終話のこと。弓耳祭りという作中における大きなイベントがあったものの、これは最終話のAパートであっさりと終わってしまう。そしてBパートからラストまで、普段と変わらないような日常が繰り広げられる。
これを見て僕は「この世界はアニメが終わっても続いていくんだな」と感じた。僕が考える名作の条件は、最終話を見たあと「この世界にまだまだいたい」と思わせてくれること。そんな想像ができる余地を残してくれたことが、なによりも嬉しかった。

 

 

ユマデミー賞ゲーム部門『オクトパストラベラーⅡ』

 

『オクトパストラベラーⅡ』は、ドット絵と3DCGを融合した「HD-2D」のグラフィックで表現されたRPGの最新作。前作から約5年を経て誕生したこのゲームは、変わるべきところは変わり、変わってはいけないところはより強く、魅力的になった、続編として完璧な姿を見せてくれた。

上述の「HD-2D」によるグラフィックや演出、バトルシステムは前作を踏襲している。2Dだけど奥行きのあるフィールドは、どこかになにかが隠されているかもしれないと思わせてくれる。
キャラクターごとで昼夜異なるフィールドコマンドを持っており、街の人がどんな反応をするのか、全部試すまで滞在してしまう。
どんな武器、どんな属性が弱点なにかを手探りで模索するバトルは、コマンドRPGがまだ可能性を秘めてることを証明してくれた。
そのどれもが人の探究心を煽るもので、前作で感じた「オープンワールドの2D化」という感覚を思い出した。

 

 

 

 

一方で、ストーリーのあり方は前作から大きく変わった。前作では「なんとなく一緒にいるだけ」と寂しい雰囲気もあった仲間たちだが、今回は複数のキャラクターで展開するストーリーが格段に増えた。キャラクターに血が通い、仲間という意識が芽生えたのだ。

なにより、まったく異なるはずだった8人の物語がやがて大きなうねりとなり、やがて大きな一つの物語へ収束していく様子は見事。
8人の物語はスタート地点が違っても、ゴール地点は同じだから、散らかった印象もなくなった。

スクウェア・エニックスはこの5年間で、『ライブアライブ』のリメイクやシミュレーションRPGの『トライアングルストラテジー』と、HD-2Dの作品を次々に送り出してきた。同じチームでは『ブレイブリーデフォルト2』も作った。『オクトパストラベラー』はスマートフォンにも展開した。
きっとすべての場面で、たくさんのことを勉強したのだと思う。そこから地続きで『オクトパストラベラーⅡ』にたどり着いたのだと思う。8人の主人公だけじゃない、作った人々の物語も垣間見えるのが、なによりも嬉しかった。

ユマデミー賞ゲーム部門『オクトパストラベラーⅡ』

 

『オクトパストラベラーⅡ』は、ドット絵と3DCGを融合した「HD-2D」のグラフィックで表現されたRPGの最新作。前作から約5年を経て誕生したこのゲームは、変わるべきところは変わり、変わってはいけないところはより強く、魅力的になった、続編として完璧な姿を見せてくれた。

上述の「HD-2D」によるグラフィックや演出、バトルシステムは前作を踏襲している。2Dだけど奥行きのあるフィールドは、どこかになにかが隠されているかもしれないと思わせてくれる。
キャラクターごとで昼夜異なるフィールドコマンドを持っており、街の人がどんな反応をするのか、全部試すまで滞在してしまう。
どんな武器、どんな属性が弱点なにかを手探りで模索するバトルは、コマンドRPGがまだ可能性を秘めてることを証明してくれた。
そのどれもが人の探究心を煽るもので、前作で感じた「オープンワールドの2D化」という感覚を思い出した。

 

 

 

 

一方で、ストーリーのあり方は前作から大きく変わった。前作では「なんとなく一緒にいるだけ」と寂しい雰囲気もあった仲間たちだが、今回は複数のキャラクターで展開するストーリーが格段に増えた。キャラクターに血が通い、仲間という意識が芽生えたのだ。

なにより、まったく異なるはずだった8人の物語がやがて大きなうねりとなり、やがて大きな一つの物語へ収束していく様子は見事。
8人の物語はスタート地点が違っても、ゴール地点は同じだから、散らかった印象もなくなった。

スクウェア・エニックスはこの5年間で、『ライブアライブ』のリメイクやシミュレーションRPGの『トライアングルストラテジー』と、HD-2Dの作品を次々に送り出してきた。同じチームでは『ブレイブリーデフォルト2』も作った。『オクトパストラベラー』はスマートフォンにも展開した。
きっとすべての場面で、たくさんのことを勉強したのだと思う。そこから地続きで『オクトパストラベラーⅡ』にたどり着いたのだと思う。8人の主人公だけじゃない、作った人々の物語も垣間見えるのが、なによりも嬉しかった。

Vaundy「replica」を聞いた。すごかった

<版画はどこか印刷くさい、僕の板画はもっと生身のものです>

 

版画家、もとい板画家の棟方志功は生前語ったという。同じ絵を何枚もコピーできる版画ではない。自身が彫り上げたオリジナルの人物像に矜持を持っていたのだろう。手法はコピーする版画と同じでも、思想はまったく違ったのだ。

 



Vaundyがアルバムをリリースした。
前作『strobo』から3年半ぶり。長い時間をかけて作られたこの作品は、全35曲、2時間超という超大作になった。

素晴らしかった。とにかく素晴らしい。
メロウだけど情熱的。映画のような物語とVaundy自身のドキュメンタリーが同時に描かれる未知の体験。文字にならない歌詞を叫ぶ狂乱とスケールの大きさ。壮大な世界の中でも、ふと「なぁ今日の調子はどう?」と語りかけてくるリアリティ。それでいてめっちゃスカしてて、等身大の若者が作っていることもすぐに分かる。

 

音楽を評するときによく使う褒め言葉をどれだけ使っても足りないくらい、圧倒的なポップの世界が2時間続く。
だけど使えない褒め言葉もある。「革新的」とか、「まったく新しい音楽」とか、そのあたり。

 

このアルバムに収録された35曲は、特別なことは何もしていない。むしろその逆。
ニルヴァーナ、ブラー、オアシス、ビートルズレディオヘッド…これまでに生まれたたくさんの音楽に影響さされたことがよく分かる。というか、影響された事実からまったく逃げていない。


本人も#3「美電球」はゆらゆら帝国、#8「宮」は細野晴臣、#11「NEO JAPAN」はブッダブランド、そして#15「replica」はデビッド・ボウイを意識したと明言している。
これ以外にも#6「情熱」はサカナクションだし、#10「逆光」は最初に歌ったAdoのザラザラとした肌触りを残しながら自分のものに変換している。

 


www.youtube.com

世界中の音楽から影響を受けたことをコンプレックスとして隠さず、それどころか飲み込んで、噛み砕いて、自分の音楽にして吐き出した。オリジナリティに囚われていたこの国から、このアルバムが生まれたことが、どれだけすごいことか。

 

手法は地続きの同じものでも、思想はまったく違う。だからVaundyは(おそらく矜持を持って)、このアルバムに模倣の意味を持つ「replica」と名付けたのだ。

 

3年前、僕はVaundyのことを「米津玄師に続く破格の才能だと思う」と言った。今は確信を持って「米津玄師に続く破格の才能だ」と断言できる。 振り返ると2010年から2020年は、米津玄師の10年だった。もしかしたら今は、Vaundyの10年に踏み込んでいるのかもしれない。

Vaundy「replica」を聞いた。すごかった

<版画はどこか印刷くさい、僕の板画はもっと生身のものです>

 

版画家、もとい板画家の棟方志功は生前語ったという。同じ絵を何枚もコピーできる版画ではない。自身が彫り上げたオリジナルの人物像に矜持を持っていたのだろう。手法はコピーする版画と同じでも、思想はまったく違ったのだ。

 

Vaundyがアルバムをリリースした。
前作『strobo』から3年半ぶり。長い時間をかけて作られたこの作品は、全35曲、2時間超という超大作になった。

素晴らしかった。とにかく素晴らしい。
メロウだけど情熱的。映画のような物語とVaundy自身のドキュメンタリーが同時に描かれる未知の体験。文字にならない歌詞を叫ぶ狂乱とスケールの大きさ。壮大な世界の中でも、ふと「なぁ今日の調子はどう?」と語りかけてくるリアリティ。それでいてめっちゃスカしてて、等身大の若者が作っていることもすぐに分かる。

 

音楽を評するときによく使う褒め言葉をどれだけ使っても足りないくらい、圧倒的なポップの世界が2時間続く。
だけど使えない褒め言葉もある。「革新的」とか、「まったく新しい音楽」とか、そのあたり。

 

このアルバムに収録された35曲は、特別なことは何もしていない。むしろその逆。
ニルヴァーナ、ブラー、オアシス、ビートルズレディオヘッド…これまでに生まれたたくさんの音楽に影響さされたことがよく分かる。というか、影響された事実からまったく逃げていない。


本人も#3「美電球」はゆらゆら帝国、#8「宮」は細野晴臣、#11「NEO JAPAN」はブッダブランド、そして#15「replica」はデビッド・ボウイを意識したと明言している。
これ以外にも#6「情熱」はサカナクションだし、#10「逆光」は最初に歌ったAdoのザラザラとした肌触りを残しながら自分のものに変換している。

 


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世界中の音楽から影響を受けたことをコンプレックスとして隠さず、それどころか飲み込んで、噛み砕いて、自分の音楽にして吐き出した。オリジナリティに囚われていたこの国から、このアルバムが生まれたことが、どれだけすごいことか。

 

手法は地続きの同じものでも、思想はまったく違う。だからVaundyは(おそらく矜持を持って)、このアルバムに模倣の意味を持つ「replica」と名付けたのだ。

 

3年前、僕はVaundyのことを「米津玄師に続く破格の才能だと思う」と言った。今は確信を持って「米津玄師に続く破格の才能だ」と断言できる。 振り返ると2010年から2020年は、米津玄師の10年だった。もしかしたら今は、Vaundyの10年に踏み込んでいるのかもしれない。

2021年ユマ的音楽10選

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宮本浩次「縦横無尽」

2018年にソロとしてデビューして、これが合計3枚目のアルバム。エレカシ時代から速いときはものすごいペースでリリースを重ねる人だったけど、55歳になってもまったく衰えない。

せっかくのソロなのだからと、新しいことに挑戦する姿が今回も随所に見られる。ミスチル櫻井和寿とのコラボはまさにその象徴だし、NHKみんなのうた」に提供した楽曲もある。アルバムタイトル通り、縦横無尽の姿だ。
しかしその奥底に光るのは、エレカシ時代から変わらないロックブルースの形。どこか物悲しく、それでも前へ進む姿。

昨年末、紅白歌合戦に宮本は出演した。真っ暗な東京湾、1人佇み「夜明けのうた」を歌った。かつて”いつの日か輝くだろう 今宵の月のように”と歌った男が歌う「夜明けのうた」は、とても美しかった。

Official髭男dism「Editorial」

1曲目のタイトルナンバー「Editorial」でこのアルバムにかける思い、覚悟を宣誓する。Official髭男dismにとってメジャー2枚目のアルバムは、ポップミュージックを貫く決意が表れた作品だ。

緻密なアレンジは隙きがなく、同時に緊張感もない。完成された音楽は得てして聞くと疲れるものだけど、とても心地良いものだ。前作「Traveler」から積み上げたものが結実したと言っていい。
「Cry Baby」「パラボラ」「Universe」といったシングル曲、それすら超える「フィラメント」という決定的な名曲。どこを切り取ってもOfficial髭男dismが国民的バンドになったのだと革新させるアルバム。

SHE'S「Amulet」

雨の中を彷彿とさせるインスト「Rained」から「追い風」へと流れていく序盤はまるで映画のよう。
前々作「Now&Then」まではグッドメロディが立ち並ぶベストアルバム感が強かったけど、今は全曲を通してひとつの物語を描いているみたいだ。

これはSHE'Sというバンドに求める音楽が体現されているように思う。形式ではなく、明確にアーティストなのだ。


RADWIMPS「FOREVER DAZE」

野田洋次郎の強烈な個性と、RADWIMPS本来のサウンドスケープの狭間に立つアルバム。キャリアを積むごとに野田洋次郎の色が全面に出るようになってきたけど、これはその極地だと思う。

特にそれを感じたのが「犬じゃらし」「グランドエスケープ」の流れ。どちらも先に発表されていた楽曲で、アルバムではアレンジが施されている。特に「犬じゃらし」はフルオーケストラで、バンドではない。
でもこれは間違いなくRADWIMPSのアルバムで、バンドとしての音楽を持っている。「グランドエスケープ」の直後に流れる「かたわれ」という曲。これこそRADWIMPSでなければ生まれなかった曲であり、「FOREVER DAZE」のハイライトだ。

岡崎体育「FIGHT CLUB」

この人はいつだって何者にでもなれるし、それは「FIGHT CLUB」でも同じ。もはや音楽の枠を超え、というか音楽の枠にいながら、ロバート秋山のクリエイターズ・ファイルや細かすぎて伝わらないモノマネのようになっている。歌いながら、さまざまな役を演じているのだ。

4曲目「Fight on the Web」は痛快だし、5曲目「Quick Report」の美しさの中に秘められた皮肉は、こちらの胸まで痛くなる。

Nothing's Carved In Stone「ANSWER」

筋肉質なバンドサウンドに惹かれて10余年、それは本作でも変わらず。バンドというのは常に理想とする音楽が変わっていくものだけど、ここまで変わらず、一貫性があるのは珍しい。
一貫性という意味ではメロディも同じ。「Beautiful Life」をはじめて聞いたときの高揚感は最高だった。これこそ僕がNothing's Carved In Stoneに求めているものだった。

SUPER BEAVER「アイラヴユー」

まずタイトルの「アイラヴユー」がいい。無骨で、分かりやすくて、とてもSUPER BEAVERっぽい。
SUPER BEAVERはメジャーから離れ、10年以上のインディー時代を過ごして2020年にメジャー再契約を果たした。そんな紆余曲折を知っていると、並べられた言葉の数々も説得力がある。

SUPER BEAVERは来月に早くも新しいアルバムをリリースする。最近では珍しいリリースペース。この勢いをもって、今までできなかったこともすべて実現してほしい。

橋本絵莉子「日記を燃やして」

2018年にチャットモンチーを完結させた橋本絵莉子。そこから3年をかけ、ついにリリースされたソロアルバム。
「日記を燃やして」というタイトルの本作には、まさに日記に書かれるような何気ない言葉と、赤裸々な言葉が連なっている。チャットモンチーと似ているようでまったく違う。橋本絵莉子の表現はとどまることを知らないと思い知らされる作品。

特に終盤に配置された「今日がインフィニティ」という楽曲。日記の中に見え隠れする、清々しい宣戦布告。

sumika「AMUSIC」

ロックバンドがドラマや映画、CMとタイアップするのは珍しくないが、あらためて「AMUSIC」の収録曲を見るとタイアップの多さに驚く。それだけ「AMUSIC」までの道のりが濃密だったということだろう。

誰かがどこかで聞いたことのあるメロディが並ぶ全16曲。ちょっと重厚長大で聞くと疲れるのが玉にきずだけど、重厚長大な路線のバンドって最近いないし、唯一無二の存在になれるかもしれない。

Coccoクチナシ

コロナウイルスの外出自粛期間中に自宅で作られたデモテープから生まれた楽曲も含む全15曲。前作「スターシャンク」は盟友・根岸孝旨とタッグを組み、がっちりデザインされたサウンドで構築された。
今回はデモテープ発の楽曲もあるからなのか、デザインという意味ではかなりバラバラ。「夜喪女」「Rockstar」がギターサウンド中心だし、「青葉」は合唱コンクールだし、「花咲か仁慈」は沖縄の祭り囃子だ。

これだけ表情の違う楽曲が生まれたのは、自粛期間があったからこそ。コロナのせいで生きづらく、息をするのも難しい時代になったけど、「そんな時代だから生まれた」と言える傑作をCoccoは作ってくれた。このアルバムの中心にドンと構える「潮満ちぬ」を聞いたとき、間違いなく傑作だと確信した。

 

歴代ユマデミー賞一覧

2000:中村一義『ERA』
2001:GRAPEVINE『Circulator』
2002:奥田民生『E』
2003:エレファントカシマシ『俺の道』
2004:Syrup16g『Mouth to Mouse』
2005:スネオヘアー『カナシミ』
2006:ELLEGARDEN『ELEVEN FIRE CRACKERS』
2007:BUMP OF CHICKENorbital period』
2008:Syrup16gSyrup16g
2009:GRAPEVINE『Twangs』
2010:レミオロメン『花鳥風月』
2011:Galileo Galilei『パレード』
2012:Galileo GalileiPORTAL
2013:RADWIMPS『Xと○と罪と』
2014:米津玄師『YANKEE』
2015:米津玄師『Bremen』
2016:Czecho No Republic『DREAMS』
2017:アシッドマン『Λ』
2018:04 Limited Sazabys『SOIL』
2019:ravenknee『the ERA』
2020:Vaundy『strobo』
2021:Coccoクチナシ