野村克也

11打数0安打5三振。
野村克也さんのプロ野球人生1年目である。
拝み倒して撤回してもらったものの、シーズンの終了後には解雇を通告されている。
その人が戦後初の三冠王になり、名監督になった。

新国劇の名優とうたわれた島田正吾さんは駆けだしの昔、舞台で『千葉周作』の寺小姓を演じた。
たった1行ながら、新聞の劇評欄に初めて名前が載った。
島田正吾、観るに堪えず>

山中伸弥さんが執刀すると、20分の手術が2時間かかった。
足手まといの“ジャマナカ”という異名を先輩医師からもらい、臨床医になる夢をあきらめた。
その人がノーベル賞で研究医の頂点を極める。

きょうが入社式という人も多かろう。
希望に燃える門出には要らざるお世話にちがいないが、何十年か前のわが身を顧みれば日々、
挫折と失意と狼狽と赤面の記憶しか残っていない。

高見順に『われは草なり』という詩がある。

われは草なり
伸びんとす
伸びられるとき
伸びんとす
伸びられぬ日は
伸びぬなり…

草の丈が伸びぬ日もあろう。
そういう日は、大丈夫、
見えない根っこが地中深くに伸びている。

 

 

今から4年前の2016年4月、読売新聞の一面コラム「編集手帳」に書かれた文章。16年に渡り読売新聞のコラムを担当した伝説的な人物・竹内政明が書いたものである。
題材の選び方、言葉の選び方、音読したときのテンポ感、約500文字の中で引用とオチを両立させる構成。何をとっても完璧で、美しさすら漂う。

そんな伝説的な人物が書く名文に名前が出てくるほどの偉人だった。
野村克也である。

86年生まれの僕にとって90年代の野球は僕にとっての原体験の一つであり、その中心には間違いなくこの人がいた。
とはいえこの人が育てたのは別に僕ではない。僕はかってに育った気分でいるだけである。

野村克也という人は、シンカーをストレートのように操る抑えの切り札を育て、後に24勝0敗の記録を打ち立てるエースを育て、そして史上最高のキャッチャーを育てた。
伸びないときも、地中深くに根を伸ばした偉大な草の、偉大な子供たち。